AXIAの阪田です。
ゴールデンウィークがようやく終わりました。
ついつい「ようやく」と言ってしまう!家族をお持ちのお母さん方は何となくお解りのなるのではと思います。
私は筋肉痛&睡眠不足です!

久しぶりに海遊館に行ってきました。
私はあまり魚には興味はないのですが、ボ~~と魚を眺めて、ふと考えた事。
「この子たちは、コンプレックスで悩む事ってないんだろうな~」と。

コンプレックスのない人はきっといないでしょう。
私はコンプレックスだらけです。溜まり溜まったコンプレックスが山積みです。

この先まだまだ長い人生、溜まったコンプレックスとどう付き合って行くべきなのか考えてみました。

コンプレックスとは ~偏った認識~

感情、認識、願望、思考などが複合して形成されたものことをいいます。
日本ではインフェリオリティーコンプレックス(劣等コンプレックス)の意味で使われる事が多く
私が持つコンプレックスもこれにあたります。
しかし、本来の意味はもっと大きい範囲であって、子供が親に抱く愛着や対抗心、
母親の娘に対する憎悪、男性には負けたくないという女性心理、
不幸な女性を救おうとする男性の心理など数々あり、
他にも「複合」という意味から、同一の施設に複数のスクリーンがある
複合映画館をシネマコンプレックスともいいます。
このようにマイナスイメージばかりではなく、プラスの意味や心理とは
かけ離れた使い方もされる言葉なのです。

しかし、「コンプレックス」を「劣等感」の同義語との認識が根強い事も事実であり、
この劣等感の積み重ねが「行きにくさ」につながるのです。

自身のコンプレックスが生まれた経緯を認識する

コンプレックスは日々の生活でふと心を過り、感情として表れます。
元々は何がきっかけでコンプレックスとして心に留まってしまったのでしょうか?
多くは自我が育ち始める幼少期の経験が根底にあるのではと考えます
親や兄弟、友人との間で発生した印象的な体験や辛い出来事などです。
現在は忘れ去られたように感じますが、自身の奥深くに閉じ込めているだけで
無意識の中に残っているのではないでしょうか?

●私を例にしてみます。
父親が病気がちで母親が看病のため、兄が母親代わりだった幼少期。
そんな兄は周りの人に褒められる機会がとても多く「面倒見のいいお兄ちゃんがいてよかったね」と
よく言われました。
そんな兄を誇りに思う反面、兄と比べて妹は・・・と思われているようにも感じていました。
社会人となり仕事上で「あの人はすごいね・・」なんて言葉を聞くと、
「その人と比べてあなたは・・・」と思われているのでは、という感情が顔を出し、
表面上はにこやかに対応している自分と奥底で嫉妬や憎悪などの複雑な感情が表出し、
その感情を抑え込もうとしている自分に嫌気を感じてしまう時があります。

●もうひとつの例として
生まれつき色素が薄く、髪・目・肌の色は皆とは少し違った子供時代でした。
周囲の人から心無い言葉を投げられる事も多く、コンプレックスとして心に残りました。
大人になり時代の流れと共に私のような容姿は珍しくなく、逆にうれしい言葉さえかけてくれるようになりました。
しかし一度コンプレックスになってしまった感情を忘れる事ができない自分に戸惑う事もあります。

コンプレックスの克服とは?

では劣等感をもたらすコンプレックスを克服するためにはどうするのか?
克服=無くす。というのは出来る事ではありません
前述の私の例のように、現在ではプラスでしかない事であっても忘れる事などできません。

では克服とはどういう事?
受け入れて、コンプレックスである事を認める事。
「克服じゃない!!!」と思われるでしょうが、心から取り去る事だけが克服とは言えません。
うまく付き合っていく事ができれば、日常で感じる「生きにくさ」を軽減する事ができます。
気持が少しでも楽な方向に向く事こそが克服と考えます

自分のコンプレックスの根源を知り、そのコンプレックスによって現在どのように表出するのか。
そのプロセスを知った上でその感情をどのようにコントロールできるのかが課題になります
抑え込める感情なのか、嫉妬を活力に変えるなど変化させる事ができるのか、
などコンプレックスの種類によって様々でしょう。

そして、幼少期からの長年持ち合せたコンプレックスほど、
自身での克服は重労働に匹敵する事であって、カウンセリング等の力をかりて
克服を目指す事もおすすめさせていただきます。

最後に

自身のコンプレックスを2つ例で出しましたが、書ききれない程のコンプレックスを持ち合せております。
そして全てがうまく付き合えておりません。
しかし、全てなんて無理!と開き直っています。
この開き直りも、違った意味での克服なのかしらとも思っています。