こんにちは。AXIAの阪田です。

いきなり唐突なタイトルで失礼します。
子供とのやりとりの中で、小学生・高学年ともなると理解できる範囲も広がり「人の振り見て我が振り直せ」にあたる注意も多くなり、自分の発言内容を振り返り考える事も増えてきました。
「人の振り見て我が振り直せ」が一概に正解ではない事も理解する必要があると思い、整理してみようと思いました。

「人の振り見て我が振り直せ」とは

他人の姿、やっていることを見て、自分自身を改めようという意味のことわざです。「振り」とは姿やおこない、態度のことを言います。
同じような意味で、座右の銘としてよく使われることわざに「他山の石」というものもあります。
また中国由来の言葉で「反面教師」という言葉も同様の意味でよく耳にします。

周囲の人の悪い部分や自分の目から見たら疑問に思う事などを見本として、自分の成長に活かし同じような間違いを繰り返す事を阻止できるわけですから、常に心掛けたいものです。
しかし、なぜ一概に正解ではないと感じたのかを説明させていただきます。

他者に囚われない事が必要です

「人の振り見て我が振り直せ」は人の悪いところ探しが目的となってはいけません
あくまで自分自身の行動を改めていくためのものです。

しかし、対象の他者を意識しすぎる事で、悪い所にばかりに目がいってしまう。これを他者に囚われると私は表現し、自分の行動言動は自分で決める、自分で自分を評価するという実感を無くしてしまう事になるのではと考えます。

私を例にお話しさせていただきます。
「母親の振り見て我が振り直せ」が常に私の心にあり、成長できた部分もあるとは思います。
しかし、「母親のようにはならない!でも…」という不安から、母親の嫌な部分見つけるアンテナをはる癖が付いてしまったように思います。これこそ母親に囚われていると言えます。
私のような方は少なからずはいらしゃるのではないでしょうか!?
自覚されているのであれば、その都度気持ちの切り替えで回避することができますが、
自覚が無く無意識に相手に囚われ自分を見失っている方は、自分の気持ちの不安定さに戸惑いを感じておられるのではないでしょうか。

社会や子育てに活かすには

ではどのように指導するのがベストなんでしょうか!
「人の振り見て我が振り直せ」によって成長した際のメリットを明確に意識してもらう事が重要だと思います。
私が母親に囚われてしまった原因は母親の嫌な所がニュアンスでしか捉えていない事が多かったため、結果自分の成長のどの部分に繋がったのかが明確ではないのです。

また子供には本来、他者の嫌な部分は見ては欲しくはないものです。
「人の振り見て我が振り直せ」の教育よりは、目標とする人から良い所を参考にして活かす教育が理想だと考えます。
私も参考にされるような母親になりたいとは思っていますが、「私の振り見て我が振り直せ」で成長してくれるのであれば喜ばしい事だと思います。
だからこそ、私を真似て欲しくない事は言葉にするように心がけています
(たとえば……怒りが大きい時はついつい汚い言葉になってしまいます。素直に謝ります。)

最後に

前述で少し触れた「自覚が無く無意識に相手に囚われ自分を見失っている方」についてですが、親との関係に問題を抱えた方に多いように感じます。
親のようになりたくない!と自分なりに頑張ってきた事が、無意識に親に囚われてしまい、自分の心の居場所を見失っているように思います。
「頑張ってきたのに、心が重く辛い……」
カウンセリングでお話しをしていただくことで、本来の居場所を見つけていただけたらと思っております。